読売新聞に“人生案内”というコーナーがある。読者の悩みに対して有識者が回答するものである。このコーナーを読んでみると、世の中には色々な悩みをもつ人、様々な境遇にいる人、将来に対する様々な希望がある人が存在していることが分かる。新聞は、読者に対し社会や経済情勢を伝える媒体であるが、コーナでは人々の心の中を垣間見ることができ楽しみにしている。
4月9日の人生案内では次のような悩みが寄せられた(以下、読売新聞からの引用)。「 25歳のフリーター男性。美大を出て就職するも退職し、地元で暮らしています。 いわゆる「やればできる」タイプで、老舗のアニメ会社に事前準備なしで入社しました。「素質があればどんなに手を抜いても成功する。才能のないものの努力は無駄でしかない」という考えが染みついています。 自分より絵がうまく、SNS上で人気もある友人と大学で出会い、追い越そうして実りませんでした。夢はイラストレーターでしたが、次第に努力が 億劫になり、退職して自信も失い、描くこと自体が嫌になりました。 既にクリエイターを目指すには遅い年齢に差し掛かり、「才能がなかった」と思うように。「簡単に諦めるべきではない」と周囲に言われましたが、もはや潮時ではとの思いが拭えません。夢に向かって進むべきですか。退くべきですか。」
文中の“才能のないものの努力は無駄でしかない”という言葉が引っかかりました。確かにスポーツや芸術といった一部の分野では、(人並み以上の)努力に加え、いわゆる才能という能力が必要かもしれません。相談者は、これまで周りと比較して“自分はできる”と自負し絵に関わる仕事をしてきましたが、自分より優れたある人の存在により“自分はできる”という心が壊れ自信がなくなってしまったようです。
クリエイターの種類によりますが、どこで見切りをつけるのかは私にはわかりません。一説では、科学者はクリエイターとされています。まだ誰も見つけていない現象?作用?メカニズムを見つけるという点では、ある意味新しいものを生み出すクリエイターですね。
小学生や中学生の時に思い描いていた“将来なりたい職業”は成長と共に現実になっていきます。それば自分の能力と天秤にかけ、将来の職業を選択することが多くなるからです。そうゆう意味では、自分の才能で勝負をして仕事をして生活している人は、現実はほんの一握りだと思います。つまり、ほとんどの人は、本人の努力で生活が可能な仕事を選択していることになります。
科学者もクリエーターだと書きましたが、以前は研究者の新たな着眼点や閃きプラス努力(実験量)で勝負できた感じがする。昔は、“人海戦術”と言って、特定のプロジェクトに研究者や大学院生を多数注ぎ込み勝負をするとことがありました。まさに人力での勝負。時と共に技術が発展し、その波は産業界のみならず生命科学分野にも及んでいます。現在では、人をどれだけ注ぎ込めるかではなく、最新の(大金を要する)技術?手法を注ぎ込めるかが勝負となっている感じがします。
庶民研究者は、(大したお金がかからない)実験を(数多く)して思いがけない結果をヒントとして、新たな方向性の研究へ持っていく能力が必要なのかもしれない。その能力とは、”努力”かもしれない。